書籍紹介

こどものこころのアセスメント―乳幼児から思春期の精神分析アプローチ

こどものこころのアセスメント―乳幼児から思春期の精神分析アプローチ

木部 則雄 (監訳), M.ラスティン (編さん), E.カグリアータ (編さん)

本書は4部構成になっており,発達障害児,被虐待児,摂食障害児,乳幼児,それを取り巻く家族,思春期の家族,その精神分析的心理療法,自殺が主なテーマとなっている。生き生きとした臨床の息吹きを感じさせる諸論文で構成され,読者の関心に従ってどこの章から読んで頂いてもかまわない。各章の内容はこども・思春期の現代のトピック的なテーマであり,これらは精神分析の適応の拡大を意味し,ここには精神分析の挑戦的な試みが詳細に論じられている。タビストックでは自閉スペクトラム等の発達障害,虐待,摂食障害といった障害,疾患への精神分析的アプローチが伝統的に行われ,本書を読めば明らかなようにその成果を上げている。アセスメントは個々のこども,家族といった個別性や特異性についての理解を深めることであり,その延長線上,あるいはその結果の一部に診断がある。しかし,昨今, DSM, ICDなどの操作的な診断基準が汎化し,この診断基準に当て嵌めることがアセスメントであり,その診断がすべてであると誤解している専門家も時にいるようである。アスペルガー障害, ADHDという医学的用語が世間に周知されるにつれて,経験の浅い専門家からそうした診断名を宣告されている親子も時に見かける。DSM, ICDが初心者にとって有益であることは疑いないが,個々のこどもの心的世界や家族との関係などの力動学的視点を欠いたアセスメントは意味がないだけでなく,極めて危険な臨床行為である。多くの臨床家にとって,こどものアセスメントは困難であるという声をしばしば聞かされる。この理由として,言語での説明や遣り取りが困難であるために,充分にこどもの心的世界を理解できないことがまず挙げられる。次に,こどもは環境からの直接的な影響を受ける存在であり,その養育環境の評価が児童虐待等では特に重要である。しかし,養育者自身の生育歴や精神的問題や経済的問題などがしばしば複雑に絡み合うことがあり,こどもに関する専門知識だけでは対処できない。さらに,こどもは年齢相当の発達課題があり,日頃よりこどもの診察や対応に慣れていないと,そのこどもの発達の遅れや偏倚を知ることができないなどのことも挙げられる。医学の領域でいえば,こどものアセスメントは小児科と精神科の臨床研修の上に成り立つものである。こどものアセスメントを行うためには,異なる職種を含む臨床チームでのトータルな議論が必要である。わが国ではわずかな専門施設を除いて,こうしたチームでのアセスメントや治療を行うことは困難であり,個々の専門家がより一層,トータルな視点を持って臨床実践を行う必要性に迫られている。本書の各々の執筆者による臨床描写は,クライアントだけでなく,セラピストの逆転移も含めて鮮明なものであり,多くの学ぶべき点が具体的に記述されている。こうした観点を各々の専門家が想像力を駆使して情緒的に理解することによって,さらなる臨床の展望が開けることを期待している。(「監訳者まえがき」より)

自閉症の精神病への展開

自閉症の精神病への展開

ディディエ・アウゼル (編集), マリア・ロード (編集), 木部 則雄 (監修), 脇谷 順子 (監修), 長沼 佐代子 (翻訳), & 1 その他

本書は、2001年にフランスのカンにおいて開催された会議の児童期および青年期の精神病・自閉状態への精神分析的心理療法の成果を論じたものである。ここには英国のみならず、欧州の国際的に著名な精神分析の心理臨床家たちの寄稿が掲載され、この主題への独創的な展望を提供している。寄稿者の多くはメラニー・クライン、フランセス・タスティンの業績によって深く影響を受けている。近年、脳の画像化という新しいテクノロジーが登場し、神経生理学と発達心理学の重要な研究が急速に発展してきているが、寄稿者たちはこうした研究結果が優れて援助となり得るものであると気づき、臨床的・理論的に患者を理解する際にそれを生産的に利用している。こうした意味で、本書は難攻不落な自閉症という砦を理解するための新たな精神分析の試みの書である。

母子臨床の精神力動―精神分析・発達心理学から子育て支援へ

母子臨床の精神力動―精神分析・発達心理学から子育て支援へ

ジョーン ラファエル‐レフ (編集), 木部 則雄 (翻訳), 長沼 佐代子 (翻訳), 長尾 牧子 (翻訳), 坂井 直子 (翻訳), 金沢 聡子 (翻訳)

本書は英国で子育て支援の専門家となる人のためのセミナーのテキストである「PARENT-INFANT PSYCHODYNAMICS」の全訳である。本書は母子関係を理解するために必須な精神分析,発達心理学の諸論文から構成されている。本書のタイトルは「母子臨床の精神力動」としたが,母子臨床には,母子だけでなく父親,周囲の人々との関与の意味を込めている。本書の編者であるJoan Raphael-Leff は,女性性,妊婦から母親になる心理的過程,および母親と胎児,新生児との心理的な相互関係に関する研究,臨床における世界的な第一人者である。 我が国の子育て支援は,主にソーシャルサポートを中心としたものであり,精神分析,発達心理学的視点からの直接的な実践アプローチへの示唆はほとんど為されていない。しかし,日常の子育て支援の相談に深刻な母子関係の問題,虐待などが潜み,より専門的な施設や医療機関への相談,受診に至る症例もしばしば見受けられる。こうした深刻なケースにおいて必要とされるのは,精神分析や発達心理学的知識に裏付けられた直接的実践アプローチによるサポートである。このような視点からすれば,本書は日本より深刻な現状に苛まれている英国の母子臨床のテキストであり,その実践に必須な豊かな知見に溢れた論文集である。 本書はRaphael-Leffによって4部に分類され,Ken Wright による「第1章 顔と表情──乳児の鏡としての母親の顔」,序章および各部の扉において,本書の大枠についての説明が為されている。しかし,私はここで本書の新たな読み方をひとつ提示したいと思う。 まず,健康な母子関係というのはどのようなものであるのかについて詳細に知って欲しい。そのためにはFrancis Grier による乳幼児観察の総括である「第16章 アマンダ――乳房としての母親を見出した哺乳瓶で養育された乳児の観察と考察」と,Joan Raphael-Leff によるその論文へのコメント「第17章 カニバリズムと救いとなるもの──いつも乳房が一番よいのか(アマンダに関する考察)」を読むことをお勧めしたい。それによって,健康な母子関係にも必ず潜む関係性の精神病理の詳細を理解することができるはずである。つまり,完璧な乳児,母親,そして母子関係は存在することはなく,理想に過ぎないということである。 次に,母子間の空想的なやりとり,世代間伝達などの早期母子関係の障害についての論文へと読み進める。Joan Raphael-Leffによる「第5章 かいじゅうたちのいるところ」は,胎生期の母子のやりとりの場である胎盤を中心に考察したものである。次に,乳幼児精神医学の金字塔としてのSelma Fraiberg他による臨床実践の論文である第8章 赤ちゃん部屋のおばけ──傷ついた乳幼児‐母親関係の問題への精神分析的アプローチ」は必読の論文である。(「監訳者まえがき」より)

現代にあって発達障害は増加の一途にあり,今やトレンドともいえるほどになっています。その大きな理由のひとつは,こどもの精神障害の診断の不備にあります。今日, DSM-IV-TRやICD-10といった操作的診断基準が臨床で多用されていますが,そこで最も頁が割かれているのは発達障害です。ここにはすべてのこどもの問題行動が羅列されています。これを受けて,他のこどもとのコミュニケーションが少々苦手であるとか,教師に反抗的であるといっただけで,アスペルガー障害やADHDと診断されている例は枚挙に暇がありません。そもそも操作的診断基準はマニュアルであり,診断基準のそれぞれの項目に該当するか否かを判別し,該当した項目の個数で診断を決めるというものです。もともと統計や研究のための診断という任務のみを負っていた操作的診断基準が,臨床現場に侵入しそこを占領してしまった感があります。これに全面的に従って診断を行うことにより,症状,行動,適応といった表面的な事象に焦点を当てる一方で,発病に至る家族,環境,力動関係や無意識的世界が無視されてしまうようになりました。たとえば,あるこどもについて,この子はアスペルガー障害だからこうであるに違いないという十派一絡的な議論が展開されたり,その決め付けに従って,両親や教師を指導したりすることです。また,被虐待児も生物学的な背景の強い多動児も,同じADHDとして診断されてしまうという困った事態に陥ります。発達障害と同じく大きな問題となっている虐待は,主に保護者の問題です。子育てというのは,決して楽しいことの連続ではなく,どちらかと言えば辛いことや苦しいことの方が多いものかもしれません。こうした苦しさに耐えることが苦手な保護者が,子育て困難に陥ったり,時には虐待という悲惨な事態を引き起こすというケースが増加しています。もちろん,ここには核家族,片親家族などといった現代の家族の問題,隣近所の付き合いの希薄化など地域社会からの孤立化など現実の社会問題も関わっています。このため子育て支援ということが,現在では重要なテーマとなっています。虐待に及んでしまう保護者の多くは,自分自身も不適切に養育された過去があり,世代間伝達のサイクルに陥っています。問題のある過去の養育体験を整理できないままでいると,自分が親になることによって過去が襲ってきます。そして,この過去はさらなる虐待を生み,虐待の連鎖が起こり,トラウマがトラウマを生みだす構図となってしまっています。フロイトは心的外傷説を捨てることで精神分析を展開させました。しかし<, b>現代の精神分析は,トラウマというフロイトが重視しなかったテーマを取り扱う必要に迫られています。そのために,創意工夫が求められているのです。(「まえがき」より抜粋)

本書はメラニー・クラインおよび英国対象関係論の理論,技法に基づいて書かれている。初めに,そのあらまし,背景を記述することで,まえがきを本書の羅針盤としてお読みいただきたい。わが国での「プレイ・セラピー」は「遊戯療法」と一般的に訳されるように,ただ楽しく遊ぶことにのみ視点があるように思える。この「遊戯療法」という用語から「プレイ・セラピー」を想像すると,お遊戯をしているかのように楽しく身体を動かして,攻撃性を発散するという想像しか思い浮かばない。しかし,「Play」という英語の意味は,こどもが無邪気に遊ぶという意味以上に,野球などのスポーツをする,ピアノなどの楽器を演奏する,ある役割を劇で演じるとか,現実で重要な役割を果たすという意味があることに即座に気づくはずである。クラインの治療記録である『児童分析の記録』のクライアントであるリチャードは,数回目のセッションから「Play」でなく,「Work」という単語で自分のセラピーを語っているが,これはとても達観した意見である。クライン派的な「Play Therapy」,つまり「プレイ・テクニック」とは,スポーツのルールような枠組みの中(治療構造)で,楽器のように適切に玩具を使い,音楽の演奏のように自分の無意識の世界を奏でながら,舞台俳優のように現実の世界と異なる自分の無意識の世界をセラピー・ルームという舞台で演じることである。ここには,こどもの空想,攻撃性や悩みに真摯に向き合うセラピストから,理解されることへの喜びや楽しみが存在している。いかなる理由で受診したにも関わらず,セラピストがこどもの悩みに目を向けることなく,楽しく遊ぶことだけが重要と考えるとすれば,とても情けないことである。また,それはこどもの世界を理解するというセラピストの重要な機能を放棄したことになるであろう。
本書の内容は私が1990年から1994年まで留学したタヴィストック・クリニックでの経験が基盤となっている。それゆえに,クライン以後に英国で影響を与えている英国対象関係論のこどもの精神分析家の理論や実践が基盤となっている。英国のこどもの精神分析は,クライン,ウィニコット,ビック,メルツァー,タスティンの影響の下に現代のポスト・クライニアンの精神分析の潮流がある。本書には,適時に理論的な論述が記載されているが,臨床例あるいは臨床素材から,できるだけ自らの想像力と「情緒的知性」を用いて,読んでいただきたい。各章は私が英国から帰国後に書いた単独論文を基に加筆,あるいは2,3の論文をひとつの章にまとめたものである。よって,本書を最初の章から読み続けていただく必要はなく,関心のある章から読んでいただければ幸いである。(「まえがき」より)

トーキング・キュア-ライフステージの精神分析

トーキング・キュア-ライフステージの精神分析

デビット・テイラー (著), 木部則雄 (翻訳), 長沼佐代子 (翻訳), 浅沼由美子 (翻訳)

臨床知見から発して人類史的考察に至る精神分析の息長い射程が鮮やかに表現された,精神分析的人間学の成果。

日常会話から身体所作そして芸術表現に至るまで,超言語的な象徴的意味における「語ること」は,有史以来,苦しみを解消して喜びを共有するための人間の条件として措定され,精神分析の祖ジークムント・フロイトとともに治療技法としての自由連想法においてその極点へと到達する。そして精神分析はまた,フロイトの性発達理論,メラニー・クラインの妄想分裂ポジション/抑うつポジション理論を通じて,ライフステージに立脚したこころの発達プロセスを分析対象としてきた歴史を有する。
英国タビストック・クリニックのメンバーによって構成された英国BBC放送プログラム「精神分析の現代社会への寄与」をプロトタイプに,本書はトーキング・キュア(Talking cure)としての精神分析を多元的に展開し,ミクロとマクロの両面からライフステージとこころの発達の関係性を探索する。「こころのめばえ」「遊び(プレイ)」「こどもと純心さ」「成長のプロセス」「こころの成り立ち」「愛」「夢を見ること」「家族」「集団」「仕事」「こころにとっての食べ物」「正常と精神疾患へのこころの態度」「精神的苦痛と精神疾患」「心理療法」「時を刻むこと」「年を重ねること」「未来」――ライフステージの精神分析の名の下に考察される主題系は,精神分析臨床記録を苗床に,語ることに支えられた日常生活,そして人類史そのものへとアプローチしていく。

クライン派用語事典

クライン派用語事典

R.D.ヒンシェルウッド (著), 衣笠 隆幸 (翻訳), 福本 修 (翻訳), 奥寺 崇 (翻訳), 木部 則雄 (翻訳), 小川 豊昭 (翻訳), 小野 泉 (翻訳)

臨床知見から発して人類史的考察に至る精神分析の息長い射程が鮮やかに表現された、精神分析的人間学の成果。

精神分析の臨床的な場に緊密に結び付いているクライン派の概念は極めて難解とされてきたが、本事典はその格好の入門書ともなっている。セクションAは「プレイセラピー」「無意識的幻想」「抑うつポジション」「羨望」等の主要な13の概念が論じられ、クライン派精神分析の入門的な章としても読むこともできる。セクションBは50音順に並べられた一般項目からなり、相互参照を通して概念の基礎へ適切なアクセスが可能となる。

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