書籍紹介

青年期のデプレッションへの短期精神分析療法―CBTとの比較研究と実践マニュアル

サイモン・クレギーン(著),キャロル・ヒューズ(著),ニック・ミッジリー(著),マリア・ロード(著),M.ラスティン (著),木部則雄(監訳),朝枝清子(訳),中岡裕美(訳),柳井康子(訳),吉沢伸一(訳),根本泰明(訳)

 精神科を受診する青年期のデプレッションの人は多く,一般的な精神科診療の枠組みで改善することもあるが,20~30%は改善の兆候もなく,症状は遷延化し,ひきこもりなどのように長期化する。一方,デプレッションは認知行動療法のみが有効であり,精神分析には適応がないかのような偏見が臨床現場に流布されているが,本当だろうか。本書は,精神分析の回数制限によって認知行動療法と精神分析の比較検討を行い,青年期のデプレッションに関して精神分析が有効な介入であることを実証したマニュアルである。28回という回数制限以外には従来の精神分析的心理療法と設定は異ならず,大きく技法の修正を求めるものではない。また本書には青年期の特有の精神分析的介入も記載され,臨床活動にも大きく役立つ。
 精神分析は,フロイトと患者たちの試行錯誤の末に成立した臨床実践そのものである。その精神分析がもう一度,患者の治療にどれだけ役立つかを原点に立って問い直すのが本書である。

子どもの精神分析的セラピストになること―実践と訓練をめぐる情動経験の物語

木部 則雄 (監修), 平井 正三 (監修), 吉沢 伸一 (編集), 松本 拓真 (編集), 小笠原 貴史 (編集)

本書は、子どもに関わる臨床家が、いかにして精神分析的セラピストになっていくのかを論じたものである。中核となるのは、心理臨床学会における自主シンポジウム「子どもの精神分析的心理療法を学ぶ意義」の3年間(2017年~2019年)の記録である。
それぞれテーマがあり、2017年は「実践と訓練、そして情熱」、2018年は「出会いと変化、そしてやりがい」、2019年は「自分を生きることとセラピストになるということ」、本書では第1部、第2部、第3部に対応している。
日々の実践や訓練、対話を通して核心に迫っていくが、そこにはさまざまな葛藤や混乱がある。そうした子どもとのかかわりを通じて、セラピスト自身の「自分自身の内なる声」に耳を傾けることで、「自分が自分として生きていく」ことや「他者と共存して生きていく」ことへの問いに、何らかの手がかりを得ることができるだろう。

クラインとウィニコット―臨床パラダイムの比較と対話

クラインとウィニコット―臨床パラダイムの比較と対話

J.エイブラム (著), R.D.ヒンシェルウッド (著), 木部 則雄(監訳) (その他), 井原 成男(監訳) (その他)

本書では,クラインとウィニコットという子どもの臨床に関心を持つ人ならそれだけで興味深い理論を『クライン派用語辞典』のR.D.ヒンシェルウッドと『ウィニコット用語辞典』のJ.エイブラムという,両派の第一人者が要領よく纏めているだけでなく,その違いをそれぞれの臨床的体験から徹底的に討論している。対話はメールによってなされているため,その場の雰囲気に流されず,相手の発言を十分に吟味した深き対話になっている。そのプロセスに沿って,二つの立場の違いを丁寧に追うことで,最終的には臨床場面で体験するような生の手応え,そして心の捉え方の核心に迫る緊張を体験できる。巻末に,両派間にありがちな神話と誤解,そして用語解説を収録。

こどものこころの環境―現代のクライン派家族論

こどものこころの環境―現代のクライン派家族論

ドナルド・メルツァー (著), マーサ・ハリス (著), 山上 千鶴子 (その他), 木部 則雄 (翻訳), 池上 和子 (翻訳)

クライン派精神分析を総括する「こころの六つの次元」(第1章)から、コミュニティ・家族に内属する個人モデル(第2章)、コミュニティ・家族という組織体の基底的想定レベル(第3・4章)、家族の組織体(第5章)、個人のパーソナリティ組織体(第6章)、さらに一九六八年のタヴィストック・クリニック(Tavistock Clinic)におけるスクールカウンセラー課程として結実した独創的なカウンセリングモデルを紹介した「補遺」へと論を進め、クラインの「結合両親像」とビオンの「基底的想定」を援用しながら新しいコミュニティ・家族を構想する。メラニー・クラインとアンナ・フロイトの論争以来、クライン派精神分析の盲点でありつづけた家族とコミュニティの機能に焦点を当てる、現代クライン派精神分析モデルによる新しい家族論。

発達障害・被虐待児のこころの世界―精神分析による包括的理解

発達障害・被虐待児のこころの世界―精神分析による包括的理解

M.ラスティン (著), M.ロード (著), H.ダビンスキー (著), A.ダビンスキー (著), 木部 則雄 (翻訳), 黒崎 充勇 (翻訳), & 2 その他

自閉スペクトラム症の子どもや大人の人を数多く診察した臨床家であれば,それは十人十色,百人百色であることを実感しているであろう。そうした子どもたちの心的世界は時にほとんど,詳細に検討すれば僅か一部であっても著しい混乱した心的世界を垣間見ることができる。子どもの時から継続的に診療していくと,この僅かな部分は思春期になって一気に表面化して,明らかな精神病として発症することもある。現在,子どもの臨床に関わっている多くの専門家はこうした精神病世界を知らない,あるいは無視しているように思う。この無知と否認は子どもが愚かな無邪気な存在であり,広いプレイルームで身体を動かして遊べばよくなるという子どものこころの世界を脱価値化した妄信を基盤としている。本書は真摯に子どもの

モーリス・センダック三部作から、宮崎駿「千と千尋の神隠し」、村上春樹『海辺のカフカ』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、そしてルネ・マグリットとヘンリー・ダーガーの世界へ――幼児期から思春期を経て大人に至る、長き心的発達過程を素描する。
フロイトとエディプス・コンプレックス、アンナ・フロイトとメラニー・クラインの「論争」、母子関係と発達理論、不安と妄想分裂ポジション、現実を知ることと抑うつポジション、二つのポジションと対象喪失――フロイトから分岐したクライン派理論の「種子」を芸術作品という「鉱脈」のなかに発掘する。幼児から思春期を経て大人に至る長き心的発達を素描した、比類なき精神分析入門。

乳幼児観察入門: 早期母子関係の世界

乳幼児観察入門: 早期母子関係の世界

木部 則雄 (監修, 翻訳), 鈴木 龍 (監修, 翻訳), 脇谷 順子 (監修, 翻訳), リサ・ミラー (編集), & 3 その他

「乳幼児観察」は、第二次世界大戦後、ジョン・ボウルビィによって
タビストック・クリニックに設立された子どものサイコセラピストコースの
基礎訓練として、エスター・ビックによって創案された。
それは、訓練生が健康と目された乳幼児の家庭を決まった曜日に1時間訪問し、
乳幼児が生後間もなくから2歳になるまで観察するものである。
この乳幼児観察は、予想以上に大きな経験と知見を導くことが判明した。
その結果、乳幼児観察は、子どもの精神分析の基礎訓練を超えて成人の精神分析の基礎訓練まで拡大し、英国を超えて主に欧州各国に拡大し、精神分析学派を超え、さらにはサイコセラピストを超えて、医師、看護師、研究者、保育士など、
すべての子どもの援助に関わる職種にまで拡大している。

本書は、この乳幼児観察の必読テキストの待望の邦訳。
乳幼児観察の基礎となる理論や方法論の解説に続き、8つの詳細な観察記録を提示。
社会的階級や民族的背景、子育てに対する両親の考え方などがそれぞれ異なる
多様な事例それ自体がもたらす衝撃から、乳幼児観察のエッセンスを学ぶとともに、乳幼児の複雑で豊かなこころの世界に触れる。

児童虐待が社会問題化するなかで,虐待の世代間伝達が言われて久しい。犠牲になる子どもが跡を絶たない今,その連鎖を断ち切るためにも,多くの人がアタッチメントの重要性を知る必要がある。本書はアタッチメント理論の背景からその骨格,研究の展開,臨床的応用を講義形式で述べるが,アタッチメント理論からの子育てについての助言をまとめた章も設けてある。研究者,臨床家,教育者,院生や学生ばかりでなく,子どもの育児に携わっている両親や保育者にもぜひ読んでいただきたい。また,すでに子育てを終えた方々が,アタッチメントの重要性を若いお母さんたちに上手に伝え、支援していくためにも役立つであろう。

クリニカル・クライン―クライン派の源泉から現代的展開まで

クリニカル・クライン―クライン派の源泉から現代的展開まで

ローバート・D. ヒンシェルウッド (著), 福本 修 (翻訳), 平井 正三 (翻訳), 木部 則雄 (翻訳)

クライン派の基本的な考え方を臨床的な視点から包括的に解説。クラインの重要な概念はすべて症例を引用して解説されており、読者はそれらを具体的に理解することができる。さらに現代クライン派の最先端の問題にも言及したユニークな書。

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